昭和の男
来年4月末で今上天皇が退位され、平成時代が終わる。
それと同時に新しい元号となるのであるが、
このところおっさんはもう自分がとてつもなく遠い昔の人間となってしまったように感じるのだ。
おっさんは昭和半ばの後半生まれ、現在不惑から知命(天命)へと向かうジェネレーションX世代の人間なのだが
(今となってはジェネレーションXって死語だな…。)、
振り返ればかつての20代における数々の栄光(武勇伝や冒険)はどこへ行ったことやら???
30代は確かにそれが大きな自信となり、自分は何でもできるのではないかと思っていた。
そしてそれらがおっさんの強烈な支えとなっていて仕事もガンガンやった。
けれども今ではあの頃のの栄光は遥か昔のことに思われ、
無くなってしまいそうなほど小さなものとなってしまったように思うのだ。
そのような状況の中で平成時代が終わろうとしており、
新しい元号となれば「昭和」は「平成」のその前という
2つも前の元号となってしまうのだ。
消えゆく栄光と2つ前の元号生まれというこの2つによって
おっさんが銀河の彼方へ吹き飛ばされてしまったような感覚に襲われている原因だ。
おっさんの時代、つまり「昭和」の2つ前といえば「明治」であり、
もう今ではそれほどご存命の方は多くないと思う。
明治といえば富国強兵政策の下、坂の上の雲のごとく日露戦争の劇的勝利から
大正時代・昭和時代の初期と日清戦争、太平洋戦争と大日本帝国としての日本人、
すなわち戦争の時代を思い起こすのである。
おっさんは高度成長期の終わりごろに生まれたわけで、
当然ながら戦争を知らない世代でる。
おっさんからしても明治から昭和初期のことなど遥か昔のことのように思えるのだから、
平成生まれの人にとってこの時代はどのような感覚となるものか?
更に新しい元号となって生まれてくる子たちにとっては
「明治時代」とは今でいう江戸時代のような感覚となるのではないだろうか?
ならば彼らにとって「昭和」とはどのような時代として映り、
どのようなイメージを持つのだろうか?
昭和の出来事といえば、
戦争から高度成長期、資本主義、共産主義の世界、核の世界、公害、環境汚染・破壊の世界、植民地から独立の世界、バブルの時代、マネーの世界、車の時代、冷蔵庫・テレビ・エアコンの時代、農薬の時代、ROCKにJPOPの時代、アナログからコンピューターの誕生した世界、(世界が)宇宙へと飛び立った時代etc
どうもあまりよい時代には映りそうもない。
ひと言でいうと
「人間がマネーと物質文明に狂った、地球環境破壊の時代」
と言われるようになるのではないだろうか?
子供時代を戦期に過ごされた天皇陛下は
毎年終戦の日にその反省と二度と繰り返してはならないとお言葉を述べられる。
その言葉も含めておっさんもそう思うのだから、
もしかすると20年後には新たな天皇(現皇太子)が
「もう二度と地球を破壊する行為を行いません」
というお言葉があってもおかしくはない。
今年の夏は誰もが今の地球環境の異常を感じていることだろう。
近所のおばさんがたも
「今年の暑さは異常よね~。全くどうしたものかしら?」
と汗を拭きながら井戸端会議に花を咲かせている。
同じように遠くに吹き飛ばされそうな感覚を持っているのだろうか?
異常気象の原因は私とは無関係と思っているようだから、
どんなに世代が離れようともしがみついていそうだ…。
おっさんは独り芋焼酎を飲みながら、
おっさんの中に生じた孤独ともいえるこの感覚と向き合うのである。
それが昭和の男である。