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2025年に大阪で万国博覧会が開催されることに決まった。
50年ぶりにの大阪での開催、更にその経済効果は2兆円ともいわれ、早速地元では大変な盛り上がりのようだ。
確かに1970年にあの太陽の塔をシンボルとする万国博覧会においては今後の日本の発展に拍車をかけるものであったろうと思われる。
振り返ればこの50年間に科学はとてつもなく進歩した。
けれども50年経過し成熟しきった日本の経済社会において本当に万博が必要なものなのかと疑問の方が大なのである。
というのも1970年に大阪万博が開催され、それ以降日本では4度の万博が開催されているのであるが、それを見てみると
1970年(昭和45年) 日本万国博覧会
テーマ:人類の進歩と調和
1975年(昭和50年) 沖縄国際海洋博覧会
テーマ:海―その望ましい未来
1985年(昭和60年) 国際科学博覧会
テーマ:人間・住居・環境と科学技術
1990年(平成2年) 国際花と緑の博覧会
テーマ:花と緑と生活の係わりを捉え 21世紀へ向けて潤いのある社会の創造を目指す
2005年(平成17年) 日本国際博覧会(愛・地球博)
テーマ:自然の叡智
2025年(新元号6年)大阪万博
テーマ:いのち輝く未来社会のデザイン
となるのだが、そのテーマと地球や世界の社会情勢、日本の社会を考えると、1970年を除いて滑稽以外のなにものでもないと思ってしまうのだ。
75年の海洋博のテーマは「海~その望ましい未来」だが、今世界の海はどうなっているだろう?
海洋資源の乱獲が行われ、海底資源の開発で海は汚され、更には世界中がプラスチックごみであふれかえっている。
85年の科学万博のテーマは「人間・住居・環境と科学技術」だが、日本の家屋は化学物質だらけで、今では30年もてばよいものとなってしまっている。
90年の花と緑の博覧会のテーマは「花と緑と生活の係わりを捉え 21世紀へ向けて潤いのある社会の創造を目指す」だが、今や社会は格差社会で貧困層は増え続ける一方、うつ病患者は推定500万人、生産活動世代の死因のトップは自殺であり、一体どこが潤いのある社会なのだろう。
そして一番直近に開催され、今でもよく覚えている人も多いと思うが2005年の愛・地球博のテーマは「自然の叡智」であり、今やあまりに人間が地球環境を破壊してしまったがために、世界中で異常気象は頻発し、これまでになかった規模の自然災害が多発しているのが現状である。
これらを顧みると万博とは一体何であろうかと思わざるを得ない。
先にも書いたが、ニュースの記事で政府の試算によると2025年の大阪万博開催による経済効果は2兆円だそうだ。
そして大阪府・市は万博に合わせて会場となる大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)でカジノを含む統合型リゾート(IR)の開業も目指しており、今後、地下鉄延伸や湾岸エリアの再開発などインフラ整備が加速しそうとのこと。
結局万博とはスクラップビルドを通じて経済効果を期待するものであり、その掲げられたテーマなど表の看板に過ぎないものなのだ。
ましてやカジノ建設までもくろむ政府や大阪の野望を知れば、今以上に人間や社会を、そして自然を狂わせるもの以外のなにものでもないのではないだろうか。
「いのち脅かす未来のデザイン」と言われそうだ。
更に万博の開催に当たって会場の建設費に1250億円かかるそうだ。
東京オリンピックは当初3000億円といわれていたものが、いつの間にか3兆円となった。
果たして大阪万博はいくらになるのだろうか。
少なくとも5000億円以上となることは間違いないだろう。
一体どれだけの日本人がそれを本気でよしとするのだろうか。
そして結局はこれもまた税金で賄われるのだろうし、利権屋が群がるだけのものとなるのだろう。
もし本当に「いのち輝く未来のデザイン」を本気で考えるならば、1250億円を万博開催に使用するのではなく、本当にこれからの地球や人間、そしてすべての生命を輝かせる未来技術を国民投票で選び投資すればどうだろう。
あるいは日本全国で海洋ゴミ、山間地域に放棄されたごみを日本国民全員がボランティアとして拾い集めることに使用すればどうだろう。
そしてそれを総理大臣を始め、各大臣、国会議員、国家官僚が率先してするというのはいかがだろう。
そうすれば日本の国土もきれいになるだろうし、すっかり汚れてしまった国家機関とその関係者も少しは浄化されるのではないだろうか。(まあ現状のあの人たちは鼻で笑うだけであろう…。)
そしてきれいになった日本全国に外国人を始め多くの人々に訪れてもらい、美しき日本を見て楽しんでもらうとともに、地域活性化とつなげていく。
そんな新しいカタチの万国博覧会があってもよいのではないだろうか?
そう焼酎を飲みながらニュースを見たのである。