おっさんの寝言、小言、独り言

焼酎好きおっさんの「娑婆」論考。

日本人は外国人に冷たいのか論考

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日産のカルロス・ゴーンCEOが逮捕された。
何でも100億近くの報酬を半分に見せかける虚偽の記載をしていたとか…。
その他にも日産の子会社に世界中の不動産を買わせていたとかいろいろと報道がなされている。
一時は実質破たんしていた日産をⅤ字回復させたと賞賛された人があっという間に転落してしまった。

 

ところでこのニュースでとても関心を持ったことがひとつある。
それは彼の扱いである。
多くのメディアが逮捕されたとたんにゴーン容疑者と「容疑者」として報道していたことだ。
どのくらい前に中年アイドルが事件を起こした際は「メンバー」という何とも不思議な敬称扱いをしていたのに、世界的経営者は即座に容疑者と呼ばれだし、おまけに日産の社長からは呼び捨てされている。
この点が実に興味深く思えた。


それともうひとつ興味深く思えたことに多くの日本人がそれを受け入れており、またどこか日本人が日本の会社を取り戻したというムードとなっているように思えるのだ。

なんだか日本人の隠し持つアイデンティティを見たような気がした。

 

思うに日本人とは基本お上に対して頭を下げる民族であると思う。
総理大臣という日本を代表する者は当然のことながら、近所の学校の教師、あるいは一芸に秀でた人も、たとえその人が年下であったとしても「先生、先生」と呼び、あたかも敬っているようにふるまうのだ。
いや実際に敬っているのだろう。
けれどもその先生方が何らかの過ちを犯し、失職したり、ましてや逮捕されたりするやいなり、下がっていた頭が上がり、今度はさげすみ始めるのだ。

 

それは近年だけでなく昔からそうであったように思う。
例えば江戸時代もそうであったように思うのだ。
江戸末期日本に来た西洋人を見て日本人の多くはもの珍しさも相まってニコニコ受け入れた。
「あれは何者ぞ」という感覚と同時に、「よう来たな~もし。」「お茶でも飲んでいき~。」と親切をほどこし、しばらくして「ハイ、さようなら」というものだ。
そこにはおもてなしの心もあれば、お互いに気持ちよくひと時を過ごすという世渡りもある。
けれども実はこの間によく観察しているのだ。
だからもしその人がずっといて偉そうな奴だと思えば、さっさと帰ってやと思うし、ホントに悪いやつと思えば、場合によっては切り捨て御免となる。

 

だから今回いくらⅤ字回復させたといっても、その裏でコストカッターと呼ばれ、多くの人員をリストラ(切り捨て)したことは日本人の心に負の感情を与えただろう。
また創業者でもない一会社役員が毎年10億の報酬を取ることも日本人にとっては負のイメージであっただろうし、ましてやそれが実は倍額であり、それを隠していたとなると、まさにそれは市中引き回しの上張り付け獄門に値するのではないだろうか。

 

日本人はいつも暴れん坊将軍や、水戸黄門のように上のものであっても正直ものであり、本当に庶民となるべく近くにいようとする者が好きであり、尊敬をし続けるのである。
それはドラマだけでなく実世界においてもそうである。
だから孫さん、三木谷さんという創業者であり成功者とされる人たちも、上辺だけの尊敬しか払われないのであり、ましてや今何かと世間をにぎわしている前澤さんなどもってのほかなのである。

 

では日本人が本当に尊敬する人の特性は何かというと、まずは「品」と「質」である。
品とは「品格」のことであり、「あの人は品のある人だ(上品な人だ)」「あの人は品がない奴だ。(下品な奴だ)」となる。
もう一つの質とは「性質(性格、人間性)」であり、「あの人は質がいい(性格がいい、人間がいい)」「あいつは質が悪い(性格が悪い、ろくでなし)」となる。
先ずこの2つを判断するのである。
ちなみにこれは人だけでなくモノにも当てはまる。それが故に日本人は「品質」にこだわるのである。
けれどもこの「品」と「質」のふたつは最初の入り口にしか過ぎない。
日本人が本当に人を尊敬するにはもう一つ大切なことがる。
これが一番大切と言ってもよいだろう。
それは「徳」である。
日本人はその人に「徳」があるかどうかを見て判断しているのである。

 

残念ながら(?)この徳はすぐに、そう簡単に身につくものではない。
ましてやお金があるかどうかは無関係である。
徳を身につけるためには長年の修養が必要となる。
そしてその時々だけでなく日常のあり方が大切であり、そこにじみ出てくるものである。
暴れん坊将軍水戸黄門も、その正義感だけでなく、日本人はその「徳」を見出し喜んでいるのである。
残念ながらゴーン氏にはそれがなかった(?)(足りなかった?)と言わざるを得ない。
自らの欲や利益を優先してしまった。
それを日本人は感じ取り、見放したのである。

 

そこが日本人の奥深さでもあり、歴史のある民族の怖さもでもある。