夢のマイホームは30年
秋が深まるにつけ、あの暑かった夏のことをすっかり忘れてしまったようにも思うこの頃。
思うに忘れるということはよいことでもあり、それが故に同じ過ちを繰り返してしまうということでもある。
ついつい飲みすぎて翌日苦しい思いをし、もう二度と飲まないぞと思うのと一緒ではないだろうか。
さて先日近所でドラッグ戦争が勃発していること、つまりドラッグストアが次々にオープンしていることを書いたが、
最近の流行として次々にオープンしているものがもう一つあった。
それは建築会社、住宅会社だ。
設計事務所といってもよいのだろう。
(あまり縁のない世界なので細かい違いなどおっさんには分からない。)
〇〇ホームとか、〇〇工房、〇〇スタイル、あるいは〇〇設計事務所とかいろいろな名前が付けられているが、要はマイホームを建てる建築屋だ。
それが次々とオープンしているのだ。
近頃は月々の家賃並みの費用(ローン)で住宅を購入できるということで、住宅ブームとなっている。
以前ならばもうしばらくアパート、コープ住まいであった人たち(若者)がそれならマイホームを建てようという動きが広がっている。
そこで一級建築士などの資格を持った大学出の技術者が何年かどこかの建設会社で働いた後、独立して自分の事務所を持つというのが流行っているのだろう。
今はパソコンとCAD(キャド)で設計図を描き、あらかじめ基礎となる材木もすっかり計測され組み合わせればよいように(工場で)処理され、外壁を始め必要物品も簡単に数量を入力して発注すればよいようになっている。
コンクリで基礎をつくればあとは組み立てるだけとなり、現場で測って切って削ってもほぼなくなった。
それが故短期間で家が完成するようになり、人件費も大幅に削減でき、必要物品も素材も既成品の大量生産されているものを使用すれば安価にできる。
そうして以前よりもずっと安い値段で一軒家が建てられるのだろう。今なら住宅ローンの金利も低い!
けれどもあまり文句を言いたくはないのだが、いかにも一代限りの家、30年もてばいいという家だらけが立ち並ぶようになった。
そしておっさんが言いたいのはそれをつくる建築会社の門構え、要は会社の作り自体が安っぽいのだ。
更に言うならばセンスが悪いのだ…。
どう考えても売り逃げしそうな建築会社が増えているように思うのだ。
それが近頃次々と建てられている住宅に現れているように思うのだ。
おっさんは思う。
本来家というものは何代にも渡って使われ、そしてそこに先祖も神様も宿り、歴史を感じるようになっていくものだと思うのだ。
その象徴であり、願いが込められたものが瓦屋根ではないかと思うのだ。
屋根の三角形の先端に付けられたあの重厚な瓦、鬼瓦とか獅子口などと呼ばれるものがそれであり、おっさんはあれを見てはすごいな~と思うのだ。
そしてかつての家には作り手の大工さんも自分の作品として、住む人々の幸せと安泰を願い、一生面倒見ようというプライドを持って作っていたのではないだろうか。
でも今やその屋根瓦さえもないような家が次々と建てられる…。
パソコンで図面を書いて、発注して、現場でプラモデルを作るかの如くに組み立てればよいとなると、それをつくる側もプライドが薄らいでいくのではないだろうか。
早く作ることで安くマイホームを提供できるのはよいことかもしれないけれど、
それが積み重なっていけばいつしかとりあえず耐震など法律に定められたところを最低限守り、
あとはとにかく客の好みに合わせて、数をつくって利益を上げようとする風潮となっていくのではないだろうか?
いや既になっているのでは???
人口減少もあるだろうが、それが故に次々と売り出される家が増えているのではないか?
なんだか周りにあるもの全てがスクラップビルドの対象となっていく。
作っては壊し、壊してはまた作る。
そうやってお金を回していく。
残されるのはゴミと自然破壊だ。
それが近代日本であり、ベッチャンノミクスというやつなのかもしれない…。
おっさんは汗をかき手塩にかけて作るというスタイルが好きだ!
だからそこに愛着も湧くし、大切にしたいと思うのだ。
食べ物はより美味しく感じ、
ものには魂が宿るようになるのだ。
それらが合い重なって家族を守ってくれるようになるのだ。
だから焼酎も手塩にかけて作られたものを飲みたい。
大切に毎日ちょびちょび飲むのだ。
(お金がないだけだが…。)
夢というものは追いかけている時こそが楽しいのかもしれない。
改めてそのことを思うこのごろである。